何故本は存在するのかな
このブログを作るにあたってね、どうして
自分はブログを作るんだろう?っていうことを考え始めました。
なぜ、自分はブログを書きたいんだろう?
誰かに文章を見てもらいたいから?
それはある。人に見てもらうことは
とてもモチベーションに繋がる。
なぜブログを書くんだろう?
誰かから反応が欲しいから?
友達とおしゃべりしたいから?
自分の考えを表明したいから?
有名になりたいから?
自分と同じ気持ちの人を見つけたいから?
仲間を作りたいから?
まだ見ぬ仲間と出会いたいから?
味方を作りたいから?
日記を書きたいから?
もっと自分のことを知って欲しいから?
たぶん、これら全てのがYesだと思う。
本当に自分だけの世界で完結できるなら
ブログに書かないで、日記で完結するはずだよね。きっと。
誰かと繋がりたい。まだ見ぬ仲間と出会いたいし味方を増やしたい。
その為に書いて行きたいけど、それはちょっと、見返りを求めてるかもしれない。
もし仲間と出会えなくても、味方を増やさなくても
自分が書いてて楽しい!ということをしていったほうが、きっと精神衛生上良いんじゃないかと思う。
明石家さんまさんの見返りを求めずただ、好きだからやる精神の言葉の通りだと思う。
なんで、僕はブログを書くんだろう?
って考え始めたら、そもそも文章を読むってなんだろう?って思った。
ブログやホームページやウェブで読み物をするのって、本に近いと思う。本の機能がデジタル化して、読むだけじゃなく書いたり拡散したりすることができるようになって気がする。インターネット状のホームページや、ウェブは本の機能の拡張の先にあると思う。
反応性のある日記。即反応をもらえる本。という感じに近いと思う。
ブログをつくるにあたって、本ってなんだろう?ってことから考え始めました。
何の為に自分は本を読んでいるんだろう?
そもそも、本って何だろう?
みんななんで本を読むんだろう?
当たり前のことなんだけど、しっかり自分の頭と言葉で考えてみようと思います。
本って、文字が書いてる紙ですよね。
それは当たり前か。
それで、本を読むのって、基本的に情報を得る為なのかな。
ちょっと、本を読む時に考えらることを
箇条書きしてみようと思います。
本を読む事の箇条書き
読んでて楽しいから読む
暇つぶし
情報収集
知識を得る
頭をよくする
勉強する
作者のことを知りたい
物語を楽しむ
大体こんなところでしょうか。
やっぱり、ほとんどが情報収集か知識を得る為と言えそうです。
物語とか文学とかだと、情緒、感情、教養、娯楽、楽しみの側面が強い気がする。
エッセイやコラムは作者の人柄や思想を知りたいと思うから読むのだと思う。
参考書やレシピ本は、そのhow toややり方、知識を具体的に得ようとしている。
写真集は、娯楽でみたり、知識を得たり…まあこれも情報収集に当たると思う。
ってことは本を読むことって
1.本を読んでて楽しいから読む
2.知識情報を得る
の二つにまとめられてしまう気がする。
楽しい!という快楽とか、感情の部分と
スキルや知識という、技術と理性な部分。
それって、感情と理性、身体と精神のようだ。
楽しくないから本読まないほうがいいし
面白くないならやらないほうがいいと僕は
思ってる。
じゃあ、本って何だろう?っていう問いに対して、本読むことはなんだろう?っていう回答をしちゃったので、もう一度、本ってなんだろ?って考えよう。
本って人間が書いてるから、人の手を介しているから…本を読むってことは、その作者の言葉や感情や思想を知ることができるモノだと思う。
知識本、スキル本だと、内容がものをいうから作者や作り手のニュアンスはそこまで伝わってこないかもしれない。実益性なのかな。
知らないものを知ること。
自分の知らないことを知ること。
自分の感情を肯定したり否定してくれる物。
本、雑誌、ウェブ、そこで
文字と情報と感情と思想と技術と論が
かかれていたりする。
本ってやっぱり、人の作ったものだから
その人の言いたいこと。
その人の書きたいこと。
やっぱりその人そのものになってしまうと思う。
だから、本を書いてる作者のことを
好きになれるか、なれないかっていうのは
大きいと思う。
もちろん、音楽は素晴らしいけど、人格的にクズみたいなミュージシャンやアーティストはたくさんいるから…書く文章は素晴らしいし作品は素晴らしいけど、人はクズということもたくさんあると思う。
作品を愛する場合もあれば
作者のことが好きだから、作品を読むことまあらしい
作者の人柄が好きだから、その考え方が好きだから読むっていうこともあると思う。
もちろん、論じる為に、知識を得る為に嫌いな反対意見を読む人もたくさんいると思う。
そうね、本を読むことって、知識が作品、作者という人に近づく行為と、僕の中で定義できた気がします。
僕のなかで、本を読むことに限らず
人は、幸せのために生きてると思います。
幸せのためとかいうと、偽善くさいですよね。
快楽の為、とか、生きていく為とか、
サバイバルの為に、大体の行為をしていると思います。…勿論そうじゃない時というのがあるとも思いますが…。
ご飯を食べるのだって生きてく為
または、ご飯を食べて快楽を得る為
排泄だって生きてく為か快楽の為
全ての人が、生まれてからずーっと
苦痛の為に食べたり、死ぬ為に食べてたら
もっと早くに、人類はいなくなるよねぇ。
まあ、死にたい気持ちの人はそういうことしているとは思うんだけど…
話は、ずれちゃうけど自殺するのだって、
今が考えられなかったり希望がない
生きていたくないから、何もないという快楽を得たかったり、苦痛を取り除こうとしているのかも。
幸せと快楽を得たいから自殺をするってものすごい皮肉で矛盾だな…。
脱線しちゃったけど、本を読むのは
楽しい、幸せ、快楽の為
知識、技術を得る為
作者に近づく為←これも、作者のことを知ろうとする知識欲に含まれそう。
といえそう。そう…
どんなブログを書こう
↓
ブログってなんだ
↓
ブログやウェブの元の日記やエッセイや本ってなんだ
↓
本って字が印刷されてるやつ
↓
本を読むってなんだ
↓
楽しいから、知識を得たいから
↓
じゃあ自分はどんな本やウェブをよんでると楽しいのか?
というところにいきつきました。
まだまだ一回あたりの文字が長いとおもう。
もうすこし、短く書いてもいいのかも知れない。
これからは
どんなウェブを読みたいのか
何を最近読んでいるのか
何を読んで楽しかったのか
何を人に伝えたいのか知って欲しいのか
自分の中で、どういうものが好きか
分析してみたり、箇条書きしてみようと思います。
本やウェブってなんのためにあるんだろう?っていう回でした。
最後に林修さんの言葉が頭に残ってるので吐き出したいと思います。
たくさんの本や名作があるのに、それでも自分の方が面白いんだ、とか、新しい本を書こうなんて思ってる人は、性格が悪いんですよww
って授業の動画で言ってたw
たしかにwww
自己顕示欲の塊だったりするものねw
でも、それって
自分よりこんな素晴らしい人たちが多いんだから、僕は子供欲しくないの感覚にも近いのかな。やっぱり、人がすごくて歴史もすごいけど、自分の手を動かして、自分で物を書く喜びもまた、自作じゃなきゃ味わえないと思う。
プロのシュートシーンを見る楽しさもあるけど
うまくゴールできないからしれないかも
自分で走って汗をかいてシュートするのだって
楽しいじゃない、きっとね。
きっと、そういうこと。